北極冒険家
1977年、神奈川県愛川町生まれ。北海道鷹栖町在住。
北極圏の単独歩行などに取り組んでいる冒険家。近年著しい北極海の環境の劇的な変化、温暖化の実態も見てきており、独立行政法人海洋研究開発機構(JAMSTEC)や、大学研究室との共同での環境調査活動も実施。北極の温暖化、海氷減少を科学的な理論だけでなく、体験を通して語ることのできる数少ない日本人である。北極圏に住むイヌイットとの交流も多い。
2000年に大場満郎氏(冒険家)主催の「北磁極をめざす冒険ウォーク」に参加し、カナダ北極圏レゾリュート ー 北磁極700km徒歩行を行う。2002年にはレゾリュート ー グリスフィヨルド単独徒歩行500km。その後、グリーンランド内陸氷床犬ぞり縦断行シオラパルク ー アンマサリク2,000km、レゾリュート ー ケンブリッジベイ無補給単独徒歩行1,000km、レゾリュート ー 北磁極無補給単独徒歩行700km等を経て、2012年に日本人初、世界で3人めとなる北極点無補給単独徒歩到達に挑戦(途中撤退)。2014年には、北極点無補給単独徒歩に再挑戦。北緯86度21分89.8秒、西経68度38分40.1秒地点で途中撤退。あきらめることなく挑み続けている。
NHKスペシャル(NHK総合)、地球テレビエルムンド(NHK BS)などをはじめ、数々のテレビ、ラジオなどに出演し、北極の魅力を伝えている。
公立はこだて未来大学システム情報科学部教授
電気通信大学(計算機科学)、ハーバード大学大学院(教育学)、東京大学大学院(認知心理学)で学ぶ。
コンピュータと教育、認知科学の幅広い視点から、コミュニケーションや人材育成、ネットワーク形成などを促進する活動を行っている。
東京から函館に移住して十年超。気候・食・文化の豊かな函館に魅了される。公立はこだて未来大学および日本科学未来館の設立計画策定に携わり、設立後、大学では教授、科学館では副館長(2003年〜2006年)を務める。
地域密着型の一連のイニシアティブを開始。2008年には函館における科学コミュニケーション促進と科学リテラシー向上のためのボランタリー組織「サイエンス・サポート函館」を立ち上げる。産学官民連携を推進し、地域ブランド商品を研究開発する「函館ハーブ研究会」を2010年に発足。2014年より日本放送協会(NHK)の経営委員も務める。
代表著作は、『理系女子的生き方のススメ』(岩波書店)、『「未来の学び」をデザインする―空間・活動・共同体』(東京大学出版会)など。
株式会社植松電機 代表取締役
子どものころから紙飛行機が好きで宇宙にあこがれ、大学で流体力学を学び、名古屋で航空機設計を手がける会社に入社。1994年に北海道に戻り、父・植松清が経営する植松電機に入社。産業廃棄物からの除鉄、選鉄に使う電磁石の開発製作を手がける。
10年後、カムイ式ロケットの研究を進めていた北海道大学大学院の永田教授との出会いをきっかけに、ふたたび宇宙へのあこがれを胸にロケット研究の全面支援を約束。 以来、「ロケットの開発」、宇宙空間と同じ無重力状態を作り出す「微少重力の実験」、「小型の人工衛星の開発」、「アメリカ民間宇宙開発企業との協同事業」と4つの宇宙開発を軸に研究開発を進める。
主な実績として、人工衛星「HIT-SAT(ヒットサット)」の研究・打ち上げ、カムイロケット打ち上げ実験(到達高度3,500メートル)、宇宙航空研究開発機構(JAXA)と共同での打ち上げ実験、ARCプロジェクトを立ち上げなどがある。2012年には、カムイロケット500pの打ち上げ実験で到達高度7,400メートルを達成している。
全国で企業研修や講演活動(学校含む)を行い、可能性を広げることの大切さを伝えている。宇宙のことを楽しく学ぶ子どもたちのためのスペースキャンプづくり、小・中学校、高校における体験学習など、若い世代に夢を与える活動にも力を入れている。
伊達市噴火湾文化研究所長
1950年、北海道釧路管内標茶町生まれ。東洋大学文学部史学科を卒業後、千歳市役所を経て札幌医科大学助手として人類学、解剖学を研究。
1995年より伊達市にて史跡・北黄金貝塚の整備、遺跡調査に携わるほか、全国初の行政による研究所を立ち上げ、音楽や絵画などの芸術をも含む総合文化行政に積極的に関わってきた。
縄文人の「心」に迫るため、従来の考古学の枠を越え、文化人類学、宗教学、民俗学、脳科学などを援用した考古学研究に挑む。縄文文化を新たな視点で読み解き、人間の根源や縄文文化の持つ高い精神性に着目した研究を展開する一方、その成果を普及・啓発するため、北海道各地において市民縄文会の設立に尽力。
北海道考古学会会長、日本考古学協会元理事、日本人類学会評議員。
近著に『対論・文明の原理を問う』(共著、麗澤大学出版会、2011)、『月と蛇と縄文人』(寿郎社、2014)。
ソプラノ歌手。モデル。女優。
英国 Arts Educational Schoolミュージカルコースに入学後、聖歌隊に所属し、パリ・ノートルダム寺院など、ヨーロッパにある様々な大ホールや教会で公演・歌唱を経験する。卒業時には The best singer of the year 賞を受賞。英国開催のクラシックコンクール「Three Rivers Young Musician of the year」にてソプラノソロ歌唱、ファイナリストとなる。
卒業後、英国 Royal Academy of Music声楽科へ入学。世界的指揮者Sir. Colin Davisの指揮にてベートーベン第九を歌唱。
帰国後、ミス・ユニバース・ジャパン2012北海道代表を務め、全国セミファイナリストベスト14となる。ベネズエラ・ボリバル共和国主催の絵画展や、Hany Weddingのデザイナー・伊藤羽仁衣氏のイベントにてモデル出演、ソロ歌唱なども行う。
Sapporo Movie Sketch 2014のショートフィルムに、主役を含む二役として出演、本編の英語翻訳・吹き替えも務める。
和風キッチン雑貨ブランド”和飾”のCMに出演・英語ナレーション。
英会話や声楽の個人講師などの活動を通して、出逢った人と共鳴しながら“人間・渡邊優香”が、伝えられることとは何なのか、日々探求中。
北海道情報大学4年生
北海道旭川市出身。中学生のころから国際社会に貢献をしたいと、外交官を目指していた。外交官の夢を実現すべく、北海道札幌南高校に入学。高校生活のすべてを懸け必死に勉強をしたが、外交官への大きな一歩となる大学受験に失敗。失意の中、高校卒業後1年ほどアルバイトをして生活する。
アルバイト生活をとおして、自分が本当にやりたいことは「学ぶこと」だと気づく。
一度は夢にやぶれた自分を支えるものは、夢に向かって一生懸命努力を重ねたという事実だった。失敗を恐れずにもう一度勉強し、新しい夢に挑む。
その後1年間、米国のニューヨーク州立大学で英語の文系学問を学び、帰国。さらに専門的な知識を身につけるため北海道情報大学に入学し、現在はネットワークを専攻。
近い将来、IT業界で高度な技術を提供し国際的な仕事をするため、応用情報技術者の資格やTOEICスコア890点取得など、日夜努力を重ねている。
津軽三味線奏者
7歳で津軽三味線を習い始め、三代目日本一佐藤俊彦師に弟子入りする。
弘前で開催された「2008年 津軽三味線全国大会」ジュニアの部3位入賞、合奏の部優勝。青森の「津軽三味線日本一決定戦」では2012年にB級の部準優勝、2013年にはA級の部優勝を飾る。
北海道、東京をはじめニューヨーク(カーネギーホール)、台湾(保安宮)、トルコ共和国など海外へ活躍の場を広げ、世界の人びとに日本伝統音楽の魅力を伝えるため精力的に活動する。
今は亡き師匠にかわり弟子の指導に尽力しており、2012年からは札幌圏の高校へ音楽講師として指導するなど音楽教育にも携わり、津軽三味線の魅力を次世代に伝える。
クラブやライブハウスでも定期的に演奏活動を続けており、今までにない津軽三味線の可能性に挑戦。DJ、ファッションショーのバックミュージック、吹奏楽団とのセッション、2013年にはエイベックス主催イベント 「a nation 2013 in 渋谷AX」で演奏するなど、様々なジャンルとのコラボレーションを行っている。北海道を代表する若手ホープ津軽三味線演奏者である。現在、北翔大学生涯学習システム学部芸術メディア学科3年生。