Glass Artist
1978年大阪府生まれ。17歳で初めて溶けたガラスに触れる。えも言われぬガラスの魅力に惹かれ、高校卒業後、小樽で修行の身となる。
作家や独立を目指すものの、厳しい職人の環境についていけず挫折し、2年で小樽を離れる。叩き込まれた宙吹きガラス制作の基礎体力を糧とし、地元大阪の教育施設でのガラス制作教室インストラクターや横浜の個人工房で経験を重ねる。
2009年、夫の故郷である小樽へともに戻り、自身の工房をオープンするため北海道最古の窯元であった元「小樽窯白勢陶園」を再活用。
7ヶ月の修繕、改装期間を経て、2010年9月に「幸愛硝子」をオープン。ペンダントやピアスをはじめとしたガラスアクセサリー、グラスやカラフェ、カップなどのグラスウェア、アロマポットやオブジェなど色鮮やかなオリジナル作品を世に送り出す。日夜1,200度で溶けた灼熱の真っ赤なガラスと格闘している。
日本テクノロジーベンチャーパートナーズ ベンチャーキャピタリスト
1958年徳島県海部郡生まれ。
慶應義塾大学在学中、サークルでシェイクスピア劇の演出を手掛け、半年熱中すればゼロから何とかなる、と人生開眼。この経験を糧にスタートした会社員時代には、アインファーマシーズ(調剤)、ジャパンケアサービス(介護初上場)、ブロッコリー(萌え系初上場)など、創業投資成功の先進的実績を作る。
1998年には日本初の個人型投資事業有限責任組合を設立。DeNA(ベイスターズ)、インフォテリア、ウォーターダイレクト、阿波製紙、エクスペリアン・ジャパン、ジャパンケーブルキャストなどの支援に成功し、現在はIoT、ロボット、暗号通貨等に注目している。
また「青少年起業体験プログラム」を千葉市、東京証券取引所、慶應義塾大学、成蹊大学、九州大学、福岡大学、横浜市立大学、品川女子学院、郁文館夢学園、海部高校等で実施するほか、2007年より慶応ビジネススクール講師も務める。
「個性的独立個人の無名な若者起業家が、ジョブメーカーとして、ゼロから未知な未来のフロンティア事業に挑戦する社会が21世紀の日本」、を主張し、既成概念の変化を提唱している。
「ふるさと納税」提案者としても知られる。
著書に、「私は、こんな人になら、金を出す」(講談社)がある。
石屋製菓株式会社 代表取締役社長
1982年、札幌市に生まれる。2004年東洋大学法学部 経営法学科卒業後、石屋製菓に入社。1年間イギリス、スイスへ語学、菓子留学を経て、2011年から2年間 小樽商科大学大学院(商学研究科アントレプレナーシップ専攻)で起業家としての心得を学ぶ。2013年7月に代表取締役社長に就任する。
幼いころから、休日でもお菓子の研究にいそしむ先代社長である父の背中を見て育ち、お菓子を作ることやその楽しさを身近に感じていた。
石屋製菓に入社後、製造、販売、財務、品質管理、商品開発とさまざまな部署を経験し、お菓子の製造・販売の楽しさと難しさを身をもって体験。その経験から「しあわせをつくるお菓子」というビジョンを掲げ、日々、創意工夫を重ねている。
お菓子をとおして、文化や教育、地域に貢献することを目指している。また、北海道に根づいている企業として、北海道の良さを広く世界に発信するため、観光分野にも力を入れている。
プロダクトデザイナー
札幌生まれ。美術教師の両親の影響で、ものを作ることが大好きな子どもに育つ。1990年女子美術大学産業デザイン科インテリアコース卒。設計事務所勤務を経て、1992年から2年間政府給費生としてデンマークに留学。家具と空間デザインを学ぶ。暮らしを根づき、地域から世界に発信する北欧のデザインに触発され、帰国後は札幌を拠点にフリーランスとして活動を始める。1999年に伊藤千織デザイン事務所を設立。北海道内の木工メーカーとの家具や日用品などの商品づくりを中心に、chiori designとしてオリジナル製品の開発や、公共建築へのインテリア提案など、バターナイフからパブリックスペースまで幅広くデザインを手がけている。
2000年、北海道教育大学大学院教育学研究科修了(美術教育)。デザインの仕事の傍ら、北海学園大学・東海大学での非常勤講師、一般向けデザインワークショップなど、デザインの楽しさや役割を広く伝える活動にも力を注いでいる。
代表作として、そらまめスツール(BC工房)、「君の椅子プロジェクト」2007年度デザイン、東川町立東川小学校・地域交流センターインテリアコーディネート、chiori designペーパーリースほか。
北海道大学電子科学研究所附属社会創造数学研究センター知能数理研究分野教授
1963年愛知県生。少年時代は野山を歩き回って動植物に親しんで育つ。小学校時代の楽しみは、体育と図工。当時から生きもののしなやかな躍動や形態の造形美に魅かれていたことから、生物に関心の強い子どもであったことがうかがえる。
北海道の自然と風土にあこがれて北海道大学に入学し、前半は美術部のクラブ活動が中心の、後半は薬学部の勉学が中心の生活を送る。修士課程修了後、製薬会社に就職し5年間、薬の探索研究に従事。30歳で退職し、名古屋大学人間情報学研究科博士課程に入学、通信制高校非常勤講師を勤めながら、33歳で学術博士を取得。理化学研究所研究員、北海道大学助教授、公立はこだて未来大学システム情報科学部教授を経て現職に至る。
生きものの賢さが物理現象として成り立つことに着目し、単細胞生物を主な対象に、その賢さの程度を評価しつつ、そのしくみを物理の運動方程式のようなもので捉えたいと思っている。そこから生きものの情報処理のアルゴリズムを理解すべく、日夜、研究に取り組んでいる。
2008年と2010年にイグノーベル賞を受賞。著書に、「粘菌 偉大なる単細胞が人類を救う」(文春新書)がある。
アイヌ文化継承者・アイヌ文様切り絵作家、
アイヌ文様デザイナー・アイヌルーツ音楽家、アイヌ民族舞踏継承者
1972年生まれ。
アイヌ文化継承者・アイヌ文様切り絵作家、アイヌ文様デザイナー・アイヌルーツ音楽家、アイヌ民族舞踏継承者。
アイヌ文化に囲まれた環境で育ち、幼少期から切り絵を作り出す。
日本の伝統文化である和紙や千代紙で和とアイヌ文化を融合させた切り絵作品を生み出し続けている。エネルギーに満ち溢れたデザインに定評があり、アイヌデザインプロダクトも製作販売。
トンコリ(樺太アイヌの五弦琴)・ムックリ(竹の口琴)奏者として、2008年、1st.アルバム「INONNO」リリース。現在2nd.アルバム製作中。
演奏活動・自ら毎月切り絵教室を開催する他、保育園、教育機関~グループホーム等で切り絵・ウポポ(唄)&リムセ(踊り)のワークショップで講師を務める。
自身が体温で伝えられてきた「ご先祖様からの借り物を未来に返す=北海道の伝統として未来へ」を主軸に活動を展開。
慶應義塾大学大学院メディアデザイン研究科(KMD)教授
1954年東京生まれ。麻布高校卒業後、和光大学人間関係学科中退。1979年株式会社アスキー入社。出版、ソフトウェアの開発事業に携わる。1982年同社取締役就任。1986年同社を退社し、米マイクロソフトの日本法人マイクロソフト株式会社を設立。初代代表取締役社長就任。1991年同社代表取締役会長兼米マイクロソフト極東開発部長、バイスプレジデント歴任後、2004年マイクロソフト株式会社最高技術責任者を兼務し、パソコン黎明期から日本のIT業界を牽引してきた。
実業界引退後は、若手の育成に力を注いでおり、2007年から情報処理推進機構(IPA)の「未踏ソフトウェア創造事業」のプロジェクトマネジャーに就任。2008年より慶應義塾大学大学院メディアデザイン研究科教授に就任(現任)。ITの枠を超えて、デザイン・テクノロジ・マネジメント・ポリシー分野で世界的なイノベータとなるべき若者の発掘、育成、支援に精力的な活動を行っている。世界110ヶ国以上で利用されている色弱者支援技術「色のめがね」や、日本初のクラウドファンディング「READYFOR?」などを指導教授としてサポートした。
2010年ルネサス エレクトロニクス株式会社非常勤取締役、株式会社イー・ウーマン取締役に就任(現任)。幼少より鉄道ファンであり、鉄道模型を趣味としている。ヘリコプターをチャーターして撮影した鉄道写真集は評価が高く、海外では鉄道写真家としても有名。2014年に脳梗塞を患い、一時半身不随、言語障害に陥るものの、ひたむきなリハビリテーションによって劇的に回復しつつある。